〔彭定鼎は在北京の時事評論家。原題は「又見伊力哈木」。2009年のイリハム・トフティ拘束後に黄章晋が書いた「再見伊力哈木」に題名を掛けている。〕
イリハム・トフティはウイグル人の学者で、中央民族大学の副教授である。2014年1月15日午後、警察は彼を自宅から連れ去り、自宅を捜索して若干の物を持ち去った。〔令状なしの拉致、捜索、押収〕
米国国務院のジェン・サキ報道官は16日、米国はイリハムの拘束について「深い関心を寄せて」おり、かつ「中国当局は直ちにイリハムの所在を公表し、中国の国際的人権責任において彼が享受すべき保障と自由を彼に与えることを求め」た。これに対し、中国外交部報道官は16日、イリハムは「犯罪に関与し、違法行為を行った疑いで」「刑事拘留」されていると述べたが、詳細については説明しなかった。
『環球時報』の報道によると、イリハムはその主催するウェブ(ウイグルオンライン)上で扇動的言論を掲載し、暴力による問題解決奨励をにおわせたそうだ。
イリハムは09年7.5事件の直後に自由を失い、8月23日に再び自由になった。それが拘留だったのか、召喚だったのか、はたまた拉致だったのかいまだにはっきりしない。彼は拘束が解けてから航空宇宙部中心病院に一時入院して、その時に私は彼を見舞った。それは私の唯一の彼との面会と会談だった。私から見れば彼は激烈で熱狂的な民族主義感情を持ってはいなかった。彼は普段北京で生活し、家庭も仕事も北京にあり、漢語を流ちょうに話す。私は彼が分離主義分子だとは想像できないし、過激主義者、テロリストの傾向も見ることはできなかった。彼は私と話すときにとても慎重だった。私はその時7.5事件の黒幕についての推測(もちろんラビア・カーディルではない)を話したが、彼は私の推測を聞いてすぐに話題を変えた。
私のウイグル人学生は私に「イリハム先生」は「ウイグルオンライン」で活躍しているが、サイト上での発言は基本的にウイグル人の権利に限られ、違法な言論などないと言っている。
いまに至るも当局はイリハムが具体的にどの法令のどの条文に違反したのか明らかにしていないので、この件については評論のしようがない。しかし私は、言論の罪で人を捕まえる当局のやり方は荒唐無稽であり、愚かであり、さらには有害であると考える。
09年7.5事件の後、新疆当局はウルムチのウイグル人記者ガイラット・ニヤズを、「国家機密漏洩、国家安全危害」の罪名で拘束し、具体的犯罪行為を明らかにしないまま15年の刑を下した。国外ではニヤズが捕まった原因は王楽泉〔当時の新疆自治区中共書記〕ら新疆地方当局の職権乱用と無能を暴露したからではないかと疑った。私はこの推測は信頼できると思う。
それ以前、ウイグル人青年作家ヌルムハメット・ヤスンがウイグル語雑誌『カシュガル文学』2004年第5期に「野バト」という寓意小説を発表して分離を扇動したと指弾され、10年の刑を受けた。ヌルムハメットは2011年にシャヤール監獄で病死したという報道があった〔その後家族が生存を確認〕。私は彼の寓意小説の漢語訳を読んだが、文学的にはとても優美である。しかし、私はこの寓意の背後にある思想には賛成できない。残念なのは、私が作者と議論する機会を持てないことである。
この点こそ致命的なのだ! 当局はイデオロギー領域で全く間違った方法で応戦している。イデオロギーの衝突は言論を武器としなければならないが、当局は自分の見解を恐れずに表明するいわゆる「異論派」を暴力で弾圧している。このようなやり方は人々をテロリズムに追いやるものだ!
私は、言論の自由は絶対だと考える。つまり、個人に対する誹謗中傷を除いて、どんなに間違った、危険な言論の散布も自由であるべきだ。人々は正しい言論で反撃できる! 私が見たいと望むのは、新疆の街角でウイグル独立促進会と祖国団結促進会が街頭論戦を行い、イスラム運動委員会と科学的理性提唱会が試合をすることである。百花斉放ではなく草花斉放で、毒草も含めて好きなように成長させる。当局は大衆を信頼していると言ってるじゃないか? 私は大衆は騙されやすいと考えているが、私も大衆を信頼する。私は言論が統制された状況下では大衆は非常に容易に誘導されて、熱狂に向かうことを知っているが、大衆は言論の自由の環境下では基本的に正しい選択をすると信じている。宗教信者は宗教が弾圧されている状況下では容易に過激分子になるが、それは全く怪しむに足りない。文化大革命を思い返してみよう。我々不信心な漢民族が全民族的熱狂に陥ったではないか!
1月25日、ウルムチ市公安局は以下のウエイボーを流した。〔そして中共当局はその指弾するウイグルオンラインの当該部分を示すことができず、ウイグルオンライン自体を見れなくしてしまった〕
イリハム・トフティが創刊し利用していた「ウイグルオンライン」サイトは、一部の人をウェブマスター、通信員、情報員に引き込み、デマ、歪曲、犯罪事件の大げさな報道を通じて騒ぎを引き起こし、分離主義思想を散布し、民族的敵意を扇動し、「新疆独立」を主張するという分離主義活動を行った。
イリハム・トフティは教室で公然と「ウイグル人は暴力によって抵抗しなければならない」、「ウイグル人はかつて日本の侵略に抵抗したのと同じように政府に抵抗しなければならない」と主張し、4.23、6.26などのテロ事件の暴徒を「英雄」とたたえ、学生に国家に対する憎悪、政府に対する憎悪、「政府打倒」を扇動した。
イリハム・トフティは教師の身分を利用して、一部の人を誘い込み、誘惑し、強要してグループを作り、国外の「東トルキスタン独立運動」幹部と結託し、国外で分離主義活動を行うことを画策、組織し、人を派遣した。
〔以上当局ウエイボーの引用〕
これらすべての活動が言論である! なぜ言論で言論に反撃できないのか? それとも彼を論破できないと心配しているのか?
かつて胡風が「反党分子」と指弾された時〔1955年〕、一部の胡風批判に動員された労働者は「訳が分からない」と言っていた。胡風は銃も持ってないし、軍隊を率いてもいないのにいったいどこに反党の能力があるんだ?
政府は扇動を心配すべきではなく、イデオロギーにはイデオロギーによって反撃すべきである。イリハムが本当に新疆当局の主張するようなことを言っているのなら、彼に説明させればいい! なぜ「暴力」を使わなければならないのか? テロ事件を起こした暴徒はなぜ英雄なのか? 彼が話したところで、天が崩れることはない! 毛沢東は文革の時にふたたび軍隊を連れて山にこもると言ったが、あれは扇動ではないのか?
私は数年前に、テロリズムも一種の表現であり、それは正常な表現のルートが閉ざされた時の表現であると言った。イリハムは声を発せず、死を恐れないテロリストほど危険ではないだろう? 彼はイデオロギー領域で主張しているのだから、政府は積極的に反論すべきである。
情報は止めることはできない。近代的通信技術が発達したネットワーク時代の前にも、過激主義を主張するパンフレットは新疆に出回ったではないか? バリン郷事件、グルジャ事件で大量の「反動宣伝材料」〔それらの「材料」は中共当局のねつ造の可能性が濃厚である〕が押収されたではなか? イリハムを拘束したら天下泰平になるなどと考えるべきではない。過激主義のイデオロギーはより隠れてより危険な方法で広がっていくだろう。
テロリズムは全く新しい犯罪である。テロリストは自分が罪を犯していると思っていない。彼らは自分が崇高・神聖な事業に従事していると考えており、その事業のために生命を投げ出す覚悟がある。彼らによれば聖戦の中で犠牲となった烈士は天国に永住できる。テロリストの逮捕、銃殺は彼らにますます多くの烈士を提供するだけである。イデオロギー戦争は不可避である。
表現のルートがあることは文明社会の基本的特徴である。人が「暴力が必要である」と言うとき、政府は真剣にその言論の背後の不満に耳を傾け、かつ人民の権利を十分に保障しなければならない。「安定維持こそ人権を守ることだ」と、習近平主席はいいことを言っている! 人々の正当な権利が保障された時に初めて社会は安定する。暴力で言論に対応することは安定に決して役に立たない。
マルクスはドイツで暴力革命を提唱する『共産党宣言』を書いたが、共産主義はドイツでは実現しなかった。『共産党宣言』は米国や西側資本主義国では一貫して合法的出版物で、今でも人々は米国で簡単にこの本を買えるし、ネット上では各国語版が自由にダウンロードできる。しかし、暴力革命は言論の自由の無い国だけで発生した。この歴史の教訓を忘れてはならない。
言論は危険ではない。沈黙こそが本当に危険なのだ!
〔 〕内は訳注。転載自由、要出典明記