2012年10月23日火曜日

廖亦武:この帝国は分裂しなければならない



原文リンク

 

作家の廖亦武がドイツ文化界の最も重要な賞であるドイツ書籍取引平和賞〔フランクフルトブックフェアの目玉の一つ。1950年に設立され、世界の傑出した小説家・学者・著述家・芸術家らの中から委員会が毎年一名を選出し、ドイツ連邦大統領から賞が授与される。過去の受賞者にシュヴァイツァー、ヘルマン・ヘッセ、ユルゲン・ハーバーマス、スーザン・ソンタグなどが名を連ねる。〕が授与された。この日曜日にフランクフルトのパウルス教会で行われた授与式で、廖亦武は受賞スピーチを行った。連邦大統領ガウク、連邦議会議長ラマートらの政界、経済界、文化界など社会各界の著名人が式典に参加した。ドイツ・ヴェレはここに廖亦武の受賞スピーチ全文を掲載する。

 

 

 198963日の夜中、呂鵬という名の北京市順城街小学校三年生の9歳の少年が、腕白さゆえに両親に隠れて家を抜け出し、沸き返っていた町の様子を見物に行ったために、正面から飛んできた銃弾に当たって倒れました。呂鵬と一緒に他にも何人か庶民が倒れましたが、彼が最年少でした。

 

 民間で調査を行っている丁子霖らの証言によると、天安門大虐殺全体でも呂鵬は最年少でした。彼の胸には穴が開き、熱い血がほとばしり出ました。彼はその場で絶命しました。彼の死の知らせは人から人へと瞬く間に伝わり、北京市内の何千もの家族の怒りに火をつけました。無数のすでに眠りについていた人に、政治を避けていた人々さえ、多くが街に繰り出し、バリケードを築き、軍用車を阻止し、完全武装の戒厳部隊に火炎瓶や石つぶてを投げつけました。小さな呂鵬はオープンカーに横たえられ、英雄のように、デモ参加者に取り囲まれ、大通りを行ったり来たりし、無言で殺戮を訴えました。その夜、どれだけの人が見も知らぬ死んだ子供のためにむせび泣いたでしょう? どれだけの人が瞬く間に反政府の暴徒になったでしょう?

 

 あっという間に23年が過ぎ、私は中国語版とドイツ語版の新刊『銃弾アヘン』の中で、「大虐殺殉難者名簿」の冒頭で再び呂鵬の死を取り上げました。彼は永遠に9歳です。これがとこしえに変わることのない訃報であることをひたすら願います。

 

「それは子供を虐殺したのだから、必ず分裂しなければならない」

 

私はこの場でこの帝国の訃報も公表します。なぜならそれは子供を虐殺したのだから、必ず分裂しなければなりません。これは中国の伝統です。

 

 2500年以上前に、私たちの偉大な祖先の老子は、『道徳経』の中で、並ぶ者なく柔弱で、しかも限りなく尊い二つのもの、嬰児と水を取り上げ、人類の繁栄と自然の流れを象徴させています。子供を守ることは種族の元気を守ることであり、中国の気功で最も大事なのは雑念を排除し、気を丹田に沈め、母体内での混沌状態の子供に戻ることです。老子は続けて、人に家が必要なこと、老人が土に帰ることは、子供が母親にしがみつくのと同じく重要であり、国家の分割と結合は、私たちのこうした日常の生存本能に適応するためであり、「民族の大義」などではないと述べています。古代の分離主義哲学者として、老子が示したもっとも有名なユートピアは「小国寡民」、「隣国を互いに望み、鶏犬の声を互いに聞き、民は老いて死すまで、互いに行き来せず」、国家は小さければ小さいほど統治しやすくなり、国家が村と同じぐらいの大きさなら、民衆はいつでも大統領に会い、一緒に酒を飲み、一緒に小便をし、一緒に政治を議論することができ、素晴らしいことです。もし遠くから、ましてや地元の人が聞いたこともないような遠くから、例えばドイツやアメリカから、面識のない客人が来たら、互いに告げて「また楽しからずや」、舞い上がるほど楽しいでしょう。

老子よりはるかに昔の堯と舜は、毎日民衆の中で過ごした帝王で、政務の間に農耕にも励んだので、老子、荘子、孔子、孟子以降の各王朝の知識人に永遠に敬われています。

 

 老荘と孔孟が生きた「春秋時代」、我々の現在の独裁中国は、数十の国に分かれていました。数百年間、互いに食い合う戦火が絶えなかったとはいえ、国学界では、これは今に至るまで超えたことのない輝かしい時代で、政治、経済、文化の領域がいずれも異常に活発であったと評価されています。言論は異常に自由で、各種の学派が肩を並べていたので歴史上「百家争鳴」と呼ばれています。今日では、かつて伝統を覆した共産党が、なんと恥知らずにも「百家争鳴」時代の思想遺産を盗用し、世界各地に孔子学院を作っていますが、彼らは古典を読まなかったのでしょうか? 孔子は魯国人であって中国人ではないことを知らないのでしょうか? 孔子は五十六歳の時、最高統治者と政見が対立し、死刑を逃れるためにやむを得ず夜逃げし、その後十数の国を流れ歩き、七十歳になってやっと自分の古里に帰ることを許されたのです。孔子は歴代王朝の政治亡命者の元祖なのですから、「孔子学院」は「孔子亡命学院」に改名すべきです。

 

 似たような例が「戦国時代」の最も優れた分離主義詩人屈原です。本籍のあった楚国が「天下を一族で支配しようとする」強国秦国に侵略され国が亡ぼうとする直前に憤然と汨羅江に身を投げて自殺しました。屈原が残した多くの地方色の強い愛国詩は、後世に歌い継がれていますが、彼の心の中の祖国は、今日の湖南省洞庭湖一帯であり、血なまぐさい併合をし、人々に塗炭の苦しみをなめさせ、多くの地方、多くの種族を無理やり一つに縛り付けた中央帝国ではありません。「路(みち)は漫々としてそれ修遠なり 吾(われ)将(まさ)に上下して求め索(たず)ねんとす」。この決して屈服しない芸術家を懐かしんで、民間では彼の殉難の日を端午節にしました。毎年この「水上の節句」が来ると、人々は竜船を漕いで、波間を往復し、巴楚風味のもち米の粽(ちまき)を川に投げ入れて、屈原の霊魂がじっくりと賞味することを願います。

 

「国家統一の名で行われた中国の歴史上の殺人事件は数限りない」

 

 国家統一の名で行われた中国の歴史上の殺人事件は数限りありません。もっとも残忍なのは秦の始皇帝で、生涯東西に転戦し、他国を併呑し、各地を自分の版図に編入しました。当時の人口は彼の手で三分の一に激減しました。始皇帝は悪名を後世に残すことを二つ行いました。長城の建設と焚書坑儒です。長城の建設は民衆の外界との往来を断ち、国全体を超大型監獄に変えるためで、そのために全国の老若男女がこの命と富をすり減らす工事への参加を強制されました。焚書坑儒は民衆の伝統とのつながりを断つためで、始皇帝は『招賢令』を発布し、各地からもっとも影響力のある460余名の知識人を騙して集め、集団で生き埋めにし、千年前から伝わっていた多くの古代典籍を焼いてしまいました。それから2000年あまり後に、彼は現代の暴君毛沢東から激賞されました。毛は、始皇帝はたった460余名の知識人しか生き埋めにしなかったが、自分は始皇帝よりはるかに多く、数十万の反革命を弾圧した、と言いました。

 

 毛沢東は謙虚すぎます。資料によると、共産党は建国当初始皇帝のように民衆と伝統のつながりを断つために、土地改革運動の中で搾取階級を絶滅することを煽り、200万人の地主、郷紳、民間結社のメンバーを銃殺しました。彼らは農村の知識階級であり、多くの人が服属を表明していたのに、共産党は彼らが「ひそかに破壊活動」をすると疑い、根強い古い考えは時流に合った新しい考えに改造できないと考えたのです。

 

 国家を強化する根本手段は殺人である、というのは毛沢東から鄧小平まで、彼らの暗黙の了解でした。1959年から1962年の大飢饉で、全国で4000万人近くが餓死したのは、毛沢東の政権分裂への不安が発端でしたし、1966年から1976年の文化大革命で、200万から400万の人が虐待死したのも、毛沢東の同じ不安が発端でした。毛沢東はつねに民衆に対し「民族分裂、党の滅亡国家の滅亡」より致命的な災難はなく、そうなったら人民は非常な苦しみを味わう」と警告していました。似たような警告はレーニン、スターリン、ヒトラー、チャウシェスク、キムジョンイル、サダム、カダフィら暴君たちの論調の中にも見られます。「国家の統一、領土の一体性」は独裁統治の最後の切り札です。どれだけの罪悪がその名を借りて公然と行われたことでしょう。

 

 19896月、共産党は政権の危機に対応するために、なんと20万人以上の武装した軍人を動員し、北京の街を血で洗いました。装甲車が街中を走ったとき、密集した銃声が電波に乗って全世界に伝わった時、遠く四川省成都市にいたある老詩人は、古書の山に埋もれて『荘子』を読んでいました。瞬く間に時は流れ、私は大虐殺の夜の長編詩『大虐殺』を朗読したために、入獄し出獄しました。その後この流沙河という名の老詩人に会いました。私がまだ生まれる前の1957年に、流沙河は詩を書いたために、毛沢東に「共産党をあてこすった」と疑われ、人民の敵にされて投獄されました。流沙河は私に言いました。「君や私のような運命の重傷を負った人間の内心の傷は永遠に癒えない。君は詩人を放棄して歴史の証人になりなさい」。続けて、彼は荘子が二千年前に書いた証言について話しました。ある国が負けて、侵略者が国境を越えて都を占領し、殺人放火を始めたので、みんな命からがら逃げました。林回という名の隠士も避難の人波の中にいました。彼は懐に値千金の玉器を隠し持っていました。突然、道端の廃墟の中から嬰児の鳴き声が聞こえてきて、みんながそちらを見ました。しかし追っ手がどんどん近づき、殺せという喚声が耳を貫くので、みんなかまっていられず、おびえて逃げろ逃げろと叫びます。林回だけが中に入ってかがんで嬰児を抱き上げようとしました。しかし懐の玉器が重すぎて、嬰児を抱いたら玉器を手放すしかありません。林回は何の迷いもなく嬰児を選んだので、見ていた人々は驚いて、ある人はお前はバカだ、なんで宝を捨てて厄介を抱え込むんだ? と聞きました。林回はこれは天の意思だと答えたそうです。

 

「真相の伝承もまた天の意思である」

 

 真相の伝承もまた天の意思です。国家の興亡、国土の分合は、歴史書の中の一部の段落に過ぎませんが、真相の伝承は初めから終わりまでを貫きます。この種の歴史の長い記述習慣は、山河が敗れた際に、毛沢東と鄧小平が凶行に及んだ際に、老子と荘子の書き残した嬰児のように、廃墟に捨てられ、むなしく泣いています。「隠士林回」のような伝承者が、すでに所有していたり所有することのできる現実的利益を放棄し、腰をかがめて拾い上げ、それを持って追っ手から逃れ、それが十分な脳力を持ち、過ぎ去った年月を追憶し、暗闇の中で記述する習慣を引き継ぐまでじっくりと養い、磨き上げることが必要です。

 

 私も記述の習慣を引き継いでいます。しかも漢語、ドイツ語そして英語で、全人類に向けて私の大虐殺被害者についての記述を公開し、同時に中国分裂の思想を公開しています。何年かたったら、私は私の愛する祖先の元に行きます。ですから私はここで、たぐいなく輝かしいパウルス教会で、ドイツ社会のエリートがお集まりの機会に、あらかじめお礼申し上げます。この業界の先達である司馬遷師匠は、前漢の最盛期の歌えや踊れの太平の世に、捨て子のように脆弱な真相を拾い上げて、統治者に睾丸を切り取られてしまいました。彼はそれによって肉体の繁殖能力は失いましたが、魂の繁殖能力はこの上もない恥辱によって強く育ちました。彼が書いた『史記』と周の文王が地下牢で書いた『周易』を持って、私は独裁中国を脱出しました。

 

「苦難はますます深まり、人の心はますます麻痺している」

 

 子どもと真相は、歴史記述の中でよく溶け合い、一つの王朝が子供を虐殺し、真相を抹殺するようになったら、天運は尽きるはずです。しかし用意周到な鄧小平は、1992年の春、北京から深圳に行き、政治を抑えて市場を開くという党を救う戦略を打ち出しました。私は『弾丸アヘン』の中で次のように書きました。

 

 また何年も過ぎたが、私はまだ自分の祖国で路頭に迷っている。苦難はますます深まり、人の心はますます麻痺している。だが中国の経済はますます急成長している。ある世界的に広まっている論調では、経済発展は政治改革をもたらし、独裁から民主に向かわせると言う。そこで、かつて天安門大虐殺で中共を制裁した西側各国は、先を争って虐殺者と取引した〔一番手は日本〕。この虐殺者たちが逮捕や殺人を続け、新しい血痕が古い血痕を上塗りし、新しい暴行が古い暴行をバラバラにしているのも構わずに。民衆は血痕と暴行の中で屈辱を忍んで生きながらえ、ますます恥知らずにならざるを得ません。

 恥知らずと苦難は交互に循環し、私たちの過去、現在、未来を支配しています。天安門大虐殺の後も、大虐殺遺族たち、変わった気功、法輪功、中国民主党、陳情者たち、失地農民、被解雇労働者、人権弁護士、地下教会、異論派、四川大地震遺族たち、『08憲章』署名者、ジャスミンネットワーク革命、そしてチベット、内モンゴル、新疆の残酷な弾圧……殺人事件は次々に積み重ねられ、独裁は前より一層ひどくなっています。最初の殺人では両手が震えていたとしても、回数が増え、罪を重ねれば、自由に刃物を振り回せるようになります。そして毎回の殺人は、経済の大幅成長を刺激しました。例えば天安門の流血がなければ、鄧小平の深圳行きでみんなが愛国を放棄して金もうけに走ることもなかったでしょう。暴力団式の強制収用がなければ、都市の狂気じみた拡張や、水ぶくれの不動産業、手抜き工事で失脚したり外国に逃げる何千何万の汚職官吏や悪徳商人も出なかったでしょう。

 

 虐殺者は今勝利を手にしています。なぜなら国全体が彼らの奴隷となり、なすがままに略奪され、なすがままに蹂躙され、骨髄まで絞られるに任せているからです。彼ら虐殺者は西側の商売人にこう言います。「君たちも来なさいよ。こっちで工場を建て、会社を作り、ビルを建て、ネットワークを作りなさいよ。人権を取り上げたり古傷を暴いたりしなければ、何をしてもいいから。君たちは自分の国では、法律があり世論があって勝手なことはできないだろうけれど、こっちに来たら、私たちと一緒に好き勝手できますよ。どうぞお好きなように川や、空や、食品や、地下水を汚してくれたまえ。どうぞお好きなように低廉な労働力を雇って、彼らを夜も昼もなく、生産ラインの機械としてこき使ってくれたまえ。中国の大半の民衆が環境汚染で様々な心身のがんに罹ったら、もっと儲けられますよ。この世界最大のゴミ捨て場には、永遠に世界最大の商機が潜んでいますよ」。

 

「帝国分裂の内在的運命はすでに決まっている」

 

 自由貿易の名のもとに、多くの西側の企業は虐殺者と結託し、ゴミ捨て場を作り、利益至上主義の「ゴミ捨て場価値観」が全世界への影響を強めています。中国民衆が全てを知ったら、彼らに金があったら、彼らにコネがあったら、彼らは最後は傷だらけの祖国を捨てて、みんな西側に移民し、そこのきれいな土地と日差しを享受し、自由・平等・博愛を享受し、さらには教会に入って、古代の独裁者によって十字架にはりつけにされたイエスに、自分に代わって贖罪してもらうことでしょう。

 

 中国の民衆が、西側民主社会においても正義と公平を取り戻すことができず、汚職官吏と悪徳商人が「独り勝ち」の恥知らずな手本であることを知れば、彼らはこぞって真似するでしょう。近い将来、地球の隅々に故郷を捨てるためには手段を択ばない中国人の詐欺師が満ち溢れるでしょう。この帝国の価値体系はすでに崩壊しており、それを維持しているのは利益による結託だけです。しかしこの種の利益の邪悪なチェーンは複雑に絡み合っているので、経済がグローバル化した自由世界はしばらくはお手上げ状態になるでしょう。

 

 しかし帝国分裂の内在的運命は、23年前に、大虐殺の夜に、既に決まっています。9歳の呂鵬をはじめとする『大虐殺殉難者名簿』は、丁子霖をはじめとする天安門の母たちの頑張りによって、時代を画する寓言となり、全人類の歴史に刻まれました。最近亡くなったバツラフ・ハベルは「無権者の力」を再三語っていましたが、中国では絶望した弱者層は暴力に対して暴力で対抗することができないので、残っている力はひそかに口伝えしていくことだけです。これはつまり古い伝統であり、始皇帝が長城を築くとき、民衆の生死を顧みなかったので、みんな仕方なく「孟姜女が長城で泣く」の物語で彼を呪いました。今日では万里の長城は観光地としてまだ存在していますが、民間の寓言の中では、長城はとっくに夫を失った若妻の涙で崩れ去っているのです。

 

「血はすでに冷え、心はすでに硬くなった」

 

 孔子はかつて絶え間なく流れる川に向かって感嘆しました「失われていく記憶はまさにこのようだ」と。次の二つの死亡ニュースもまたそうでしょうか。「2003621日、成都市金堂県の3歳の女児李思怡は、世話をする人がいなかったため、自宅で餓死した。彼女の母親は麻薬吸引の嫌疑で警察に連行され、17日間拘留されていた」。「20111013日、広東省仏山市の2歳の女児王悦は、道を横断していて車にひかれた。彼女は倒れてもまだ息があったが、その体を2台のトラックが押しつぶした。目撃者が携帯電話で撮影したビデオをネットに投稿した。7分間に18人が通り過ぎたが、誰も見て見ぬふりをして助けなかった。体中に傷を負った女児は、結局ゴミ拾いのおばさんに助けられ、病院に送られたが亡くなってしまった」。

 

 血はすでに冷え、心はすでに硬くなっています。しかし9歳の男の子呂鵬が虐殺された時、中国人の血はまだ熱くたぎっていました。

 

 誰がこのような、虐殺者の経済戦略で洗脳された中国人になりたがるでしょう? 中国国内では、みんな習慣的に自分は四川人だ、自分は陝西人だ、自分は広東人だ、自分は北京人だといいます。ちょうど私がベルリンに住んでいた時、みんな習慣的に、自分はアメリカ人だ、自分はドイツ人だ、自分はチベット人だ、自分はルーマニア人だと言っていたように。もし誰か台湾人が私に、君たち中国人はいつも弱い者いじめをすると言ったら、私は君の言う中国と私の四川は無関係だと言うでしょう。

 

 脱出直前、私は雲南で一人の辺境の民と雑談をしました。彼は、「俺たち雲南は、あんたら四川とは違う。俺たちが出国するのはあんたらが出省するより簡単だ。ちょっと瞬きする間に、俺たちはベトナム、ラオスやミャンマーにお茶を飲みに行くのさ。だから雲南とベトナム、ラオス、ミャンマーを合わせて一つの国にした方が便利だ。少なくともはるばる北京や上海に行くより便利だ」と言いました。私が、「君それじゃあ売国論じゃないか?」と聞いたら、彼は「国家の重さは何斤何両だ? どうやって売るんだ?」と聞き返しました。 

 

 古代には、新疆、チベット、内モンゴル、台湾、いずれも異民族の地でした。唐朝の文成公主がチベットに嫁いだのは、中華民国時代の上海女性がアメリカに嫁いだのと同様に善意のセンセーションを巻き起こしました。チベット人はなんで頻繁に焼身自殺するのでしょう? もしチベットが四川省、雲南省と国境を接する別の国であったら、独裁北京の弾圧を受けなければ、歌も踊りもうまい高原の民族は永遠に焼身などに思い至らないでしょう。

 

 この人間性を滅ぼす血染めの帝国は、地球の災難の源であり、この無限に拡張するゴミ捨て場は、必ず分裂すべきです。  

 

 子供たちが無駄死にしないために、この帝国は必ず分裂すべきです。

 

 母親が故なく子供を失わないために、この帝国は必ず分裂すべきです。

 

 中国各地の人々が再び路頭に迷い、世界のお荷物になることがないよう、この帝国は必ず分裂すべきです。

 

古里に帰ることができるように、将来祖先の墓を守る人が残るように、この帝国は必ず分裂すべきです。

 

 全人類の平和と安寧のために、この帝国は必ず分裂すべきです。

 

 これから以前1989年天安門事件の殉難者と生還者のために書いた歌を歌います。

 

                                                              2012年10月14

 

〔 〕内は訳注

0 件のコメント:

コメントを投稿