2014年1月22日水曜日

イリハム・トフティ:私の理想と選んだ道(3)



三、

 私が長い間関心を寄せてきた問題は、新疆と中央アジアの二つである。新疆については転換期の新疆の社会、経済、文化の発展であり、新疆の多民族共存の道であり、中国の国情〔=現行国家体制〕の下での国家の統一維持と地方自治の間のバランスの探求である。

 今日、新疆のほとんどの人々が民族関係を巡っては計画経済時代と胡耀邦-宋漢良時代〔胡耀邦が中共の総書記(1982-1987)で、宋漢良がウイグル自治区の共産党書記(1985-1995)であったのが重なる時代〕を懐かしんでいる。計画経済時代は、政府が資源の平等公平な分配を行うことを通じて、民族間の平等感が良く保たれ、また当時は人口移動が禁止されていたので、不平等を感じる機会自体が欠けていた。胡耀邦-宋漢良時代は、政治的緊張が緩んだので、表面上は人々の不満は増えたが、内心では政府を信任し、政府の抑圧も最少で、社会の求心力は極めて強かった。

 1990年代以降、市場経済化の急速な推進に伴い、新疆の経済は大幅に発展したが、民族間の発展の機会の不均衡は顕著になっていった。とりわけウイグル人社会の転換期の発展には心の痛む状況が出現した。窃盗、スリ、薬物密売、薬物乱用、売春などの問題が、宗教的信仰によってそれらの犯罪に対して天然の文化的抑制が働くはずの民族の間に、あたかも全民族が犯罪民族であるかのような偏見を持たれるほどに急速に広まった。「マルサスの罠」の運命が無情にもウイグル人の身に降りかかったのだ。

 それとともに、これらの深刻な社会問題があろうことか研究のタブーとされ、ほとんど誰もこれらの問題を直視せず、いわんや体系的な社会調査と分析により対応を探ることはなされなかった。ウイグル人社会の問題は、一方で政府と漢人に対するウイグル人の不満と不信を増大させ、もう一方で、漢人、とりわけ内地漢人社会のウイグル人に対する差別的印象を強めた。

ウイグル人知識人の一人として、私はウイグル人社会と漢人社会の間に、猜疑心と不信の巨大な裂け目が日々拡大し、とりわけ若者の間では就職問題、民族差別問題のゆえに憎悪の感情が広く増殖していることを強く感じる。とりわけ七五事件およびその後の一連の相互作用は、矛盾と憎悪の爆発による発散というよりは、新たな蓄積の原因となった。

問題はますます深刻化しているのに、敢えて発言しようとする人はますます減っている。問題は1997年以降の、反「三つの勢力」〔テロリスト・分離主義者・宗教的過激主義者の3勢力〕運動〔弾圧と強制的同化を鮮明に打ち出した1996年の中共中央7号通達の「分離主義者・宗教的過激主義者」に2001年の911米国同時多発テロ事件の後に「テロリスト」が加わった〕が地方の主要任務とされたことである。それがもたらした間接的効果は、ウイグル人幹部、知識人が不信の目で見られるようになり、政治的雰囲気が抑圧的になったと人々が感じるようになったことである。

 北京という法環境が比較的良い〔=権力が比較的合法的に行動し、新疆と比べて弾圧が緩い〕場所に住むウイグル人知識人として、新疆問題に注目し研究することは私にとって逃れられない責任である。なぜなら、それはもはや専門知識が必要であるだけでなく、まず第一に必要なのは勇気になってしまっているからだ。

 七五事件の勃発とその前のラサの三一四事件の勃発は、人々に次のような事実を突きつける。それは、激しく転換する現代の中国において民族調和共存の道を探求することは、極めて切迫した任務であるということだ。中国ではもっぱら政治を語り、とりわけ政治的正しさを強調するだけで、法令の整備や政治学の視点から民族の調和共存の環境を改善・創造することが語られることはほとんどない。また、民族の調和共存の技術的問題については、国内でほとんど語られないだけでなく、そのような意識さえも欠如している。

 いかなる美しい政治的動機や願望も、一連の精細かつ周到な技術的支援が不可欠である。ところが中国においては、持続的で忍耐強い技術的取り組みではなく、政府が代価を無視して大規模に社会資源を組織・動員することが習慣化している。一方、マレーシア、シンガポールなどの多民族多元文化国家では、各民族の利益を精細かつ周到にバランスを取って処理し、民族包含と調和共存についてのユニークな技術的経験を積み上げている。その意味で、私の探求と努力は価値あるものだと私は思う。

 民族自治に関しては、民族問題が中国において敏感かつ緊迫した問題になるに伴い、反分離主義の視点に立って国の民族政策の失敗の経験・教訓をくみ取り、中国の民族政策を再検討する議論がますます増えている。しかし、それには強烈な漢民族中心主義思想が含まれ、典型的な統制思想を帯びており、実質的には近年の失敗した少数民族政策の弁解と追認に過ぎない。そして、これらの研究の視野には、外国のうまく解決したり緩和した民族対立、民族分離の危機を乗り越えた多くの事例は全く入っていない。学界のこのような傾向が政策決定者を誤りに導くことを私は深く憂慮している。

中央アジア研究は、私の個人的興味と地縁的な理由である。新疆問題の自然な広がりとして、私は中央アジア諸国の社会、政治、経済、文化の行く末に関心を寄せないわけにはいかない。なぜなら、中央アジアと新疆は長い国境を接しているだけでなく、言語、文化、宗教上の親戚関係にあり、複数の民族が国境を跨いで居住しており、新疆と中央アジアは髪の毛を一本引っ張っただけで全身が動くように、小さな動きが全域に影響する関係だからである。

 そのほかに、地政学的戦略の視点から、中国がいかにして中央アジアの政治、経済、文化領域に効果的に影響を与えうるか、中国が地政学的に安全的な地位を獲得すると同時に、中国と中央アジアの双方の利益をいかにして最大化するかを研究することも、私が関心をもっていることである。

 私は言語を生かした長期的持続的な知識の蓄積だけでなく、旅行を通じても現地の政界・経済界に幅広い人脈を築き、ビジネスの成功経験も持っており、それらすべてが私と国内の一般の中央アジア研究者との違いである。なぜならより近接した資源、情報及び経験を有することで、中央アジア問題を研究する際に、より容易に現地〔=研究対象〕から受け入れられるからである。

 こうした特殊な優位性によって、私は少なからぬ漢人商人の中央アジアにおける投資先探しを成功に導いたし、CNPCSINOPECなどの中央企業の現地における市場拡大の仲介役を務め、いろいろ厄介な問題も解決してきた。

 私が強く思うのは、中国が中央アジアに対していかに影響を与えるかは、まだまだ真剣かつ体系的に研究されていないテーマであり、中国は中央アジアにおいてより効果的かつ積極的役割を果たすべきであるということである。

〔 〕内は訳注

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